北京五輪の取材が終わった。約1カ月の滞在中に見た「中国」はこの大国のほんの一部に過ぎない。ただ、初めて訪れたこの隣国で私なりに感じたことは多い。なかでも強烈に実感したのはその「大きさ」と「ギャップ」だろう。
五輪期間中の私の行動範囲は限られていた。報道陣の取材拠点となったメーン・プレスセンター(MPC)、寝泊りしたメディア・ビレッジ、そして北京に散在する競技会場。これらの間をシャトルバスで行き来する毎日だ。競技会場間が離れており、五輪関係車両専用の「オリンピックレーン」を走れるシャトルバスで渋滞を避けて移動しないと時間のロスが大きい。各会場の警備も厳しく、タクシーで会場に移動してもメディア専用入口にたどり着くのが一苦労で、そこで改めてセキュリティーチェックも受けなければならないため、行動範囲は自然と「リストリクテッドエリア」という一般の人が入れない区域に限られてしまったとも言える。
バスから見えたのは、巨大な商業ビル群とそのビルに書かれた大きな社名、派手なネオンサインが光る大型ホテルやレストラン、米国の郊外型モールのような巨大ショッピングモール。広い幹線道路や高速道路。何しろ大きい。MPC内で中国文化を紹介するため実演していた生け花も、繊細な日本のそれとは違う、太くて大きい花や枝を使った大ぶりな作品が多く、島国文化とは異なる「大陸文化」のスケールの大きさに触れた気がした。
そして人口13億人のパワーも感じた。まず、開会式。演目毎に千人以上のパフォーマーが登場して舞台を埋め尽くす。大掛かりな舞台装置にもびっくりしたが、登場人物の数には圧倒された。空港、MPC、競技会場、地下鉄の駅、ショッピングセンターの受付など、ありとあらゆるところにいるボランティアの数も半端ではなかった。空港で入国審査後、シャトルバスに乗るまでにも10人以上のボランティアが「こちらへ」と”リレー案内”してくれた。北京に住む日本人駐在員が言っていた。「本来1人でできる仕事を10人でやっているよね」。
マンパワーと言えば、中国選手団への声援も迫力があった。地元開催という側面もあるが、普段でも「喧嘩しているのか」と思うほど大声で話す中国人の応援はまさに「大音量」だった。重量挙げ、体操、バドミントンなどの会場では日本語の「がんばれ」に当たる「加油(ジャーヨ)」の大合唱で天井が吹き飛ぶのではないかと思ったほどだ。政府が観戦マナーの改善を呼びかけた成果か、相手国へのブーイングはあまり聞かれなかった。私がブーイングを耳にしたのはバドミントン会場での日本応援団に対するものだけ。逆に、体操などで失敗した選手がやり直す際には国籍に関わらず拍手を送り、健闘を称えるシーンがみられた。
五輪閉会後に街を歩いてみると、表通りから一歩奥に入ると雰囲気ががらっと変わることがわかった。大きな道路沿いには東京と同じような高級ホテルや大型オフィスビルが立ち並び、ブティックや高級百貨店なども目にするが、ほんの100メートル先の埃っぽい裏通りには野菜や果物を道端に並べて売る人達や、昼間から中国版チェスのようなゲームに興じるおじさん群、そして戸外で夕涼みするおばさん達の姿があった。発展途上国でよくみる庶民の生活だ。
北京に住んで約3年になる友人の英国人夫妻の家を訪ねてみた。王府井という繁華街から歩いて15分の一見ごく普通の民家だが、内装はスタイリッシュで中庭を囲むコの字型2LDKには外国人が快適に暮らせる設備が整っていた。なんと、五輪が開幕する2─3週間前に「外国人で怪しい」というような理由でそれまで住んでいた家を突然退去するように言われ、まだ引っ越したばかりだという。彼らの家の周りは長屋のような貧しい民家がひしめき合っていた。その長屋にはトイレやキッチンはなく、近くの公衆トイレを使い、食事は外で済ますという。昔の町並みが残っている通りで公衆トイレが多かった理由がやっとわかった。食事に関しても、物価が安いため地元の「食堂」で10元(170円)も出せば満腹にはなれる。
友人が言った。「覚えておいて。トイレやキッチンのない家に住んでいる人々がこれだけ北京にいる。ただ、13億人のうち、多くの人がもっともっと貧しい田舎に暮らしているということを」。
英国の新聞社に務めるもう一人の友人が付け加えた。「『北京五輪が終わったら報道の自由はまたなくなるのか』とロンドンのボスが聞いてくるけど、質問自体が間違っている。実際、五輪に向け報道の自由はどんどん狭められたのだから」。
国の威信をかけ、史上最大の五輪を「成功」させた中国。最後に訪れた天安門広場では、毛沢東の巨大肖像画の前で、はしゃぎながら記念撮影をする中国人観光客の姿が目立った。
この大国の表と裏の「ギャップ」は一体この国の未来にどう影響していくのだろうか。