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2009年10月30日

腐っていない「Made in Japan」

Posted by: 水野文也

AUTOSHOW/前回投稿で、歌舞伎のように価値が認められれば世界に受け入れられると書いたが、実際に企業トップの話を聞くと、世界で評価されている日本製品が多いということをあらためて感じた。

たとえば電気自動車の分野。新興国のメーカーが将来的に低価格で攻勢をかけるとみられており、日本勢はそれに打ち勝つ戦略が求められそうだ。しかし、既に「勝算あり」とみている企業もある。

電気自動車向けの直流電圧を別の直流電圧に変換するDC─DCコンバータでリードするTDKはその典型的な例だろう。同社の上釜社長は「低価格にも十分対応できる技術を有している」と話す。今後、確実に広がっていく分野において必ず使用される部品であるだけに、この自信は大きい。

単に「日本のブランド」というのではなく「日本国内で生産された」ことが、製品に対する信頼を高める例もある。日立建機では、中国における販売の現場で、現地生産された製品よりも代理店経由で輸入された日本で生産された製品を、価格が高くても求めるケースが多いという

同社の桑原専務は「現地生産品がゴールドなら国内生産品はダイヤモンド。中国では、日本で生産された製品について、それくらい認識の差がある。強気で販売できるダイヤモンドは値下げをまったく考えていない」と話す。

米消費者団体専門誌コンシューマー・リポートが27日に発表した新車の信頼性に関する調査結果で「最も信頼できる48車種」のうちトヨタ自動車が最多の18車種を占めたのをはじめ、日本車だけで全体の約7割に達した。トヨタは米国でリコール問題が浮上したが、それでも調査では消費者が高い信頼を寄せた形となっている。

かつて日本が国として輝いていた時代を思えば、将来的に日本製品は「腐っても鯛」と言われるようになると思うこともあったが、腐るどころか「Made in Japan」は、まだまだ世界をリードする分野も少なくないようだ。日本の成長戦略を語るだけのタネは、多くの分野でゴロゴロ転がっている。

(写真/ロイター)

2009年07月14日

国産車から失われたカリスマ

Posted by: 児玉成夫

国内自動車販売の減少が止まらない。昨年秋以後の大幅下落は、金融危機によるところが大きいが、それを差し引いても長期下落傾向は明白だ。

軽自動車を除く乗用車の2008年の販売台数は281万台で、ピークだった1990年から35%も減った。好調な軽を含めても17%減だ。

こうした傾向は、人口減少、若者の支出の携帯電話へのシフトなどがよく理由に挙げられる。バブル以前と比べると、自動車が単に「足代わり」「下駄代わり」になり、人々(特に若者)のあこがれの対象でなくなったという国産車のカリスマ性喪失の影響も大きいようだ。かつては「いつかはスカイライン」「いつかはクラウン」などと言ったものだが、めっきり聞かれなくなった。

一方で、欧州車を中心に外国製の自動車はまだ、そのカリスマ性を維持しているようだ。なぜ国産車はせん望の対象でなくなったのか。

1つには、あまりに没個性的な車作りがあるのではないか。それがよくわかるのがスタイルだ。どの車も同じような形で、特に前面からだけ見た場合、車種の識別が非常に困難になっている。空気抵抗軽減、燃費改善などためスラントノーズ(フロントグリルの下部が出っ張った形状)の導入が拡大してからは、スタイルの同一化に一段と拍車が掛かったようだ。

AUTOSHOW FORD

失われた個性、カリスマ性を取り戻すのは容易ではなさそうだが、ビッグスリーでただ1つ生き残ったフォードのマスタングの成功は、ひとつのヒントになりそうだ。最近は街で新型マスタングの姿を見ることが多くなってきた。

マスタングは70年代前半のマッスルカー全盛時に若者のカリスマとなったものの、それ以後はオイルショックの影響もあり次第に小型化、カリスマ性も失なわれた。

現在のマスタングは6代目。小型化こそしたものの、初代のデザインを強く意識したものだ。フロントグリルの上部が突き出た逆スラントノーズといえるデザイン。空力効率はやや犠牲になっているのだろうが、サメを髣髴(ほうふつ)とさせる精かんなスタイルで魅力をアピール、マイナス面を克服している。久々に「アメ車」らしい「アメ車」に出会ったと感じたのは、筆者だけではあるまい。

国産車メーカーは、世界的経済混乱が収集すれば、日本市場は低調のままでも、新興国相手に十分やっていけると考えているのかもしれないが、国産車のカリスマ復活、さらに市場活性化にもうひと工夫欲しいところだ。

テレビでは城山三郎氏の代表作である「官僚たちの夏」の放映が始まった。通産省(現経産省)の官僚と企業が一体となって、外車の性能に追いつき追い越すことを目標に、必死に国産車を育成する姿が描かれている。50年以上前の話で隔世の感もあるが、今一度その姿勢を思い出してみてもよいのではないだろうか。

「特集 自動車産業の未来」はこちらから

(写真/ロイター)

2009年06月09日

経済の未来は生物学か

Posted by: 森佳子

経済学は数学に乗っ取られた上に詐欺師に利用された、と思うのは自分だけだろうか。マクロ経済学は人間の幸福=消費と置き、消費には予算制約があるため労働と余暇の最適化を図る。サブプライム・ローンの借り入れで消費を最大化させた人々は、一時的にでも幸福を最大化できたのだろうか。

サブプライム商品を理論的にバックアップしたのは、統計学の極限定理の1つ「大数の法則」だという。この法則を元に、米インベストメント・バンカーらは、カルフォルニアとアラバマのサブプライム・ローンを合成して商品を組成し、個々のローンより貸し倒れ確率が低下したことを数学的に証明した。

そして、格付け会社は喜んでトリプルAの太鼓判を押した。しかし、数式として正しくても、意味を成さないことは世の中に数多くあるはずだ。
 
例えば、何かが「大き過ぎてつぶせない」という理屈は、経済効率性とコストの観点から数学的証明が可能だろう。だが、歴史を振り返れば、生物として大き過ぎるものは絶滅してきたし、最大最強な生物が実は生存のがけっぷちに居たという例はいくらでもある。

現在の家畜牛の元祖とされるにオーロックスという野生牛は、石器時代から幾多の時代を生き残った最強牛だった。性格はどう猛でオスは1000キログラムもの体重があったというが、1627年に絶滅した。原因は狩猟だけでなく、体が大き過ぎたため、森が切り開かれていく過程で環境不適応を起こしたのだ。

IMFの元チーフエコノミスト、サイモン・ジョンソン氏は「大き過ぎてつぶせないというあらゆるものは、そもそも存在するには大き過ぎるモノだ」と言う。

小さな金融機関は効率性コストがかさむが、大き過ぎてつぶせない金融機関は大量破壊兵器のようなもので、生き残らせて爆発させるコストもまた、同様にじん大だと同氏は言う。

米国では、製造業も金融業も大き過ぎてつぶせないものは、とりあえず国有化するようだが、国家財政を爆発させるリスクを高めているだけではないだろうか。

(写真/ロイター)